沢山の男性は、その少年時代のある時期に、植物採集や昆虫採集に没頭する。夏休みの宿題に標本を作って提出するという大儀も手伝って、
他の事は何もしないで、手のこんだ見事な標本を担任教師の手に渡す。そんな標本日記です。
●オレンジの部屋島の道を都会の子と歩いたりするの。するとアスファルトの上を爬虫類が横切ったりする。こんなのもちろん島の生活では日常的な出来事なんだけど。当然のように、その都会育ちの子は私の前でキャアキャア言って騒ぐのね。まるで人生で初めて体験する恐怖のように大げさに私の目を見る。女の子ばかりではなく、従兄弟の中では男の子までもね。でも、別にそんな事はもう慣れているからいいんだけれど、私が不思議なのは、その子達の驚き様が、なんだか心の奥から自然に発生されたもののようには思えない事。まるで法律で決められたような驚き様。可愛いリスではなく醜い爬虫類は絶対に嫌悪しなければいけないって言うような定めがあるような決まった一同の驚き。 私はこんな従兄弟達の驚きを見ながら、爬虫類が道路を横切ったりする以外には何も起こらない島の生活の中でしっかりと育って来たの。もちろん感受性を豊かに持てば、天高い蒼い空や、透き通った清水の流れ、海風に揺れる大樹、秋夜の昆虫の囁き、羽を広げた海鳥の滑空・・・こんな贅沢な自然の音や色や形に、いくらでも想像を膨らます事も出来たかもしれない。中学生だった頃の私はこれでも随分頑張った。全ての感動や好奇心は私が自らもっている想像力や感受性からくるものだから、私自身の力だけでいくらでも私は感動しながら刺激的な人生を歩む事が出来るんだと。 でも、なんていうんのかな、そうやって自分の力で自分をもう一段高い所に置く努力、自分で自分を演出していく事に疲れてまった、自信が保てなくなってしまったのね、きっと。いつしか自宅の縁側で水平線に沈む洛陽を無理矢理何かに例えて眺めている事にも飽き果てて、6畳程の大きさの小部屋に閉じこもるようになってしまった。でもそれって、決して私の全てが沈んだ訳でもなかったの。私の知る限りの最大の器が地球という体積だったとしたら、そう、私の島の小部屋は、少なくみつもっても月くらいの体積はあったようにも思えたし。畳の部屋に斜めに寝そべって、足の先に見える柱から頭の上にある柱までの対角線がその当時の私の全て。この全てに私は充分に満たされていようだったし。 そうだ、その部屋は、この部屋と似ているかもしれない。少し凹凸がある白い壁紙に囲まれた長方形のどこにでもありそうな、実際にある部屋。夏はもちろんクーラーがある。でも、室温を下げても下げても汗が背骨を伝う日々が続く。数匹のヤモリの白い腹がスリガラスの向こう側に呼吸していたりする点がこの部屋との違いといえば違い。自宅から2Km程歩くと、南の蒼い海に浮かぶラグーンとまでは呼べないけれど、それなりに美しく、よくテレビのコマーシャルの撮影になんか使われるような浜辺にたどり着ける事はもちろんみんな知っている。でもそんなのって子供の頃からの事だし、高校生になった頃には誰もそんな所に島の人達は夕陽や朝日を拝みに出かけたりはしないもの。島の生活は、都会の人達からみると羨ましい位の自然に囲まれていて、それはそれはクリーンなんだけれど、全てが受動的と言うのかな。自分をコントロールするような力のある修行者のような人じゃないと成就出来ないような生活。 でもでも、こうやって都会で仕事して生活していると嫌でも周りに振り回されて、誰も一人にしておいてくれない。こうやって毎日お客さんをとっていると、黙々とお店で決められた事をやっていればいいという訳ではないし、一日の中で必ず誰かと何かを話さなければならないし。話せば誰かが私に影響を与える。必ず。こんな事を繰り返して毎日が過ぎると、一年なんてあっという間に終わっちゃう。島の時間と東京の時間ってやっぱり違うの。アインシュタインの光と速度と時間の関係のように、私はいつも島の時間を追い越して銀河の果てまで飛んで行ってしまう。飛びながら島の時間を生きる私の過去が私の今の網膜に写る時、私は可愛いリスではなく醜い爬虫類を見るような目で過去を感じる私を狭い宇宙船のようなこの部屋で感じる。 その部屋は山手線の某駅から徒歩7分の所に実存する。住宅街でもなく、飲食街でもなく、商店街でもない。中途半端な幅5m程の曲線の道を辿った先、どこにでもある築20年程のマンションの一室。可変抵抗機がついている照明と6畳用の冷暖房機の室内機が普通のワンルームのように天井近くの壁に横向きにかかっている。畳の上には3センチ程の薄いクッション。その上にも薄い布団が引いてあり、さらにその上にはオレンジ色のバスタオルが4枚きちんと並べて引いてある。俯瞰すると車にひかれてぺちゃんこになったマクドナルドの一番安いハンバーガーのよう。 客は皆、私が何も言わなくても衣服を脱ぎ捨てシャワーを浴び、私が引いたオレンジ色のバスタオルの上に単純にうつ伏せにひれ伏すようにじっとしている。そんな時、私の頭の中ではあの島のアスファルトの上の爬虫類がゆっくりと右や左に横切ったりし始めるのだ。 |
●記 事
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